コラム
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大阪府美容生活衛生同業組合について
大阪府美容生活衛生同業組合は、今年で創立65年になります。
美容組合も歴史・社会の変遷にあわせて変化し今に至っています。
これから、美容業と美容師そして美容組合の歴史を振り返ってみたいと思います。
ちょっと硬い話になりますが…
先ずは国家との繋がりから。
美容業は生活衛生関係営業の振興事業とされており、「生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律」の規程に基づき美容組合が組織されています。
美容室の営業は、豊かな国民の生活に不可欠なサービスを提供しており、公衆衛生の見地から国民の日常生活に密接に関係しています。衛生水準の維持向上等を図ることにより国民生活の安定に寄与することを目的として、生衛法により営業者の自主的活動の促進、経営の健全化の指導など各種の行政施策が講じられています。
また、厚生労働省告示の「美容業の振興指針(平成31年4月1日適用)」に具体的な活動について方向性が示されています。
美容業の振興指針 ※「美容業の振興指針」より一部抜粋
美容業の営業者が、美容師法(昭和32年法律第163号)等の衛生規制に的確に対応しつつ、現下の諸課題にも適切に対応し、経営の安定及び改善を図ることは、国民生活の向上に資するものである。
このため、生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律(昭和32年法律第164号。以下「生衛法」という。)第56条の2第1項に基づき、美容業の振興指針を定めてきたところであるが、今般、営業者、生活衛生同業組合(生活衛生同業小組合を含む。以下「組合」という。)等の事業の実施状況等を踏まえ、営業者、組合等の具体的活用に資するよう、実践的かつ戦略的な指針として全部改正を行った。
今後、営業者、組合等において本指針が十分に活用されることを期待するとともに、新たな衛生上の課題や経済社会情勢の変化、営業者及び消費者等のニーズを反映して、適時かつ適切に本指針を改定するものとする。
「美容業の振興指針」は以下URLよりご覧いただけます。
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/seikatsu-eisei05/dl/190329-05.pdf
「美容業の振興指針」には税制及び融資の支援措置や営業者の直面する課題と地域社会から期待される役割など多岐にわたる内容が記載されています。
美容業を通じて、今の時代に即した、それぞれの地域社会や国民が豊かになっていく指針が示されています。
美容師や経営者の方は必見です!
美容を業として行うことができるのは、美容師法に基づき厚生労働大臣の免許を得た“美容師”だけ
美容師免許とは皆さまご存じの通り国家資格です。
美容師免許は、高等学校を卒業した後、厚生労働大臣の指定した美容師養成施設で昼間課程2年、夜間課程2年、通信課程3年以上にわたり必要な学科・実習を修了した後、美容師試験に合格した者に与えられます。その後、美容師名簿に登録の申請を経て初めて美容師免許が交付されます。
また美容師は、美容所で美容を行わなくてはなりません。その美容所を営業するために保健所に開設届を提出し、検査を受け、条件を満たす施設と認められて営業が行えるのです。
さらに、2人以上の美容師が働く場合、管理美容師を置くことが法律で決まっています。
美容業とは美容師法という法律の下に保健所などの行政と関わり営業をしているのです。
現在の美容師法ができるまで
男の髪を男の髪結が結うところの理容師の出現は、江戸幕府の開府のころといわれていますが、女の髪を女の髪結が結うところの美容師の起源は寛政のはじめ(1789年ごろ)といわれています。しかしこのころ一般の婦人は自分で髪をすくか、下女に結わせていたので、女髪結の得意先はおもに京都、大阪、東京などの遊女や娼妓たちだけでした。
一般の婦人を対象とした結髪師があらわれたのは、江戸末期であるといわれています。一説には、今から約170年前に、泉州堺で役者のカツラ師をしていた男の娘が、人に頼まれて髪を結い、のちに看板をかかげて銭をとり、渡世をしたのが始まりで、彼女を皮切りに女髪結が急激に増えていったとされています。
明治4年(1871年)に平民の職業の自由が公認されるとともに女髪結業は名実ともにひとつの職業となりました。
明治34年に警視庁で「理髪業取締規則」が作られ、理髪と女髪結を取り締まるようになってから、全国の各府県でもこれをもととした取締規則が制定されました。また同業組合法による髪結組合をつくらせ、業者に自主的に器具の消毒や店の衛生維持などに努めさせました。
また大正4年に大阪美髪学校が創設され、大阪、京都、神戸などでも美容技術を教える講習所や学校ができ、多くの美容師が養成されるようになりました。しかしながら、美容師の数も多くなった事で質の低下が問題視され、大正7年大阪府で試験制度が実施され、これをはじめとして各府県でも試験制度が波及されるようになりました。
昭和2年、「美容術営業取締規則」ができ、これまでは届出によって営業できたものが、認可を必要とするようになり、昭和5年には、許可制度に改められました。また許可を受けるためには、組合に入らなければなりませんでした。
昭和23年に「理容師法」が制定され、美容師という女子の近代的職業の一分野が確立しました。理容師法は昭和26年に「理容師美容師法」と改め、昭和32年には、「美容師の資格を定めるとともに、美容の業務が適正に行われるように規律し、もって公衆衛生の向上に資する」ことを目標に、「美容師法」という単独立法となりました。
このようにして美容師法はできたのですね。
現在でも衛生管理や感染症対策において法令遵守は必須となっています。“美容師”という国家に認められている職業として、また大阪府知事認可の府下唯一の美容団体として、国民の皆さんの豊かなビューティー&ヘルシーに貢献する役割を果たしていきます。
大阪府美容生活衛生同業組合
理事長 北里 哲郎